中国と日本を結んでいた「北」のルート
江戸幕府の「鎖国」政策で、当時の日本は長崎を唯一の窓口として中国、オランダとのみ交易を行っていたというイメージが強いです。しかし実際は、薩摩藩を通じた琉球、対馬藩を介した朝鮮、そして松前藩を通したアイヌという複数の交易の窓口がありました。
中でも「蝦夷錦」をその象徴とする交易は、中国から東北部のアムール川流域を経て樺太、北海道、そして本州へとつながる「北のシルクロード」として近年、注目を集めています。アイヌの人々もその仲立ちをしていました。今展はその蝦夷錦の展示を中心に、北のシルクロードに関する最新の研究成果を紹介する内容です。

蝦夷錦は中国江南地方で制作された絹織物で、龍や牡丹の文様が特徴です。北京から清の役人によって運ばれ、アムール川流域に住んでいた「山丹人」、さらにアイヌの手を経て北海道に到達。最終的にはアイヌと松前藩の交易によって本州にもたらされ、幕府などでも珍重されました。この伝来の道が「北のシルクロード」と呼ばれています。



今回は市立函館博物館が所蔵する10点の蝦夷錦を展示。陣羽織や打敷に作り替えられたものもあります。基本は青地に金糸で龍や波を刺繍したダイナミックなデザインで、実に迫力があります。江戸時代の日本人が見たらさぞや強い印象を受けただろう、と想像させます。今展を企画した函館大学の中村和之教授(東洋史)は「これほどの数の蝦夷錦が揃うのは、国内では函館周辺だけ。まとまって展示される機会も少ないです」といい、本展はその意味でも貴重な機会です。
貢物への「お返し」としての蝦夷錦
この絵は間宮林蔵が文化5、6年(1808、09)に、樺太が島であることを確認した際の調査をまとめた『東韃地方紀行』の中にある記録画です。旅行が終わった後、師の村上島之丞の養子貞助の助けを借りて絵にしました。アムール川流域に住む諸民族に対して、中国清朝が先住民に毛皮の貢納を義務付け「辺民(へんみん)」に組織して行っていた朝貢交易の模様を描いています。諸民族から貴重なテンなどの毛皮を信貢させ、絹織物や日用品を下賜しました。中村教授は「蝦夷錦もこうした形で周辺の諸民族に伝わったものでしょう」といいます。
「北のシルクロード」、明代・元代まで遡る物証
蝦夷錦のやり取りに代表される「北のシルクロード」については従来、文献などの分析から明代、あるいは元代まで遡る可能性が中村教授らの研究で指摘されてきました。そこで名古屋大学の小田寛貴氏らが「放射性炭素年代測定法」により、残っている蝦夷錦を調べたところ、多くは清代のものでしたが、サハリン州立郷土誌博物館に所蔵されている「蝦夷錦製のニブフの帽子」という品が、元代末期から明代初期に制作された可能性が高いことが分かりました。

つまり15世紀初めごろ、日本では室町時代のころから、北東アジアでは「北のシルクロード」で文物が行き来していたということになります。

ダイナミックな交易が中世から北東アジアで展開され、もしかしたらアイヌの人々も関わっていたかもしれないと想像すると、ワクワクしてきます。『ゴールデンカムイ』をきっかけに注目が集まっている地域ですが、まだまだ奥が深そうです。中村教授は「北海道以外の地域の方には、蝦夷錦と言っても馴染みが薄いでしょうし、実物を見る機会もめったにないと思います。函館にお立ち寄りの際はぜひ資料館に足を運んでいただき、そのたどったルートを想像してもらえれば嬉しいです」と話していました。




(読売新聞美術展ナビ編集班 岡部匡志)
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