トヨタ自動車が1月26日、社長交代を発表しました。トヨタの社長交代は約14年ぶりで、4月1日付で豊田章男社長(66)は会長に就き、佐藤恒治執行役員(53)が社長に昇格します。世界的なEV移行への急速な流れの中、トヨタはどのように生き残りをはかるのでしょうか。豊田章男社長がカーボンニュートラルやEVに対する考え方や、後継者の条件を明かした独占インタビューの一部を特別に公開します。(月刊「文藝春秋」2022年1月号「トヨタ豊田章男社長 すべての疑問に答える!」より、聞き手・新谷学編集長)
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“危機のリーダー”が待ち望まれている
――現在、世界は100年に1度の“大変革期”を迎えています。デジタル化の推進で産業構造に大きな変化を迎えるなか、コロナのパンデミックという予期せぬ事態も起きました。従来のビジネスモデルはもはや通用せず、日本国内の多くの経営者、そして政治家は非常に難しい舵取りを迫られています。今こそ強力な指導力を備えた“危機のリーダー”の登場が待ち望まれていますが、政界、経済界にそうした人材が見当たらないのが現状です。
豊田章男社長は、2009年6月にトヨタ自動車社長に就任されて以降、リーマン・ショックによる過去最大の赤字、大規模リコール問題、東日本大震災など様々な危機を経験されてきました。有事におけるリーダーシップと大胆な経営改革によってそれらの危機を乗り越え、トヨタは現在も日本経済を牽引するリーディングカンパニーであり続けています。今回はご自身の経験を交えつつ、この大変革期をどのように乗り越えていくべきか、お話をうかがいたいと思っています。
豊田 よろしくお願いします。たしかに、私が社長に就任してからを振り返ると、平穏無事に過ごせた年は1回もなかったですね(笑)。だから有難いことに、まだ社長を続けられているのですが。
社長就任当初は“捨て駒”だった
――まずはじめに豊田社長がどのようにリーダーとして鍛えられていったのか、お聞きしたいと思います。社長就任時から波乱含みでしたね。
豊田 私の社長内定の人事が発表されたのは、2009年1月20日です。「豊田」の名をもつ私は、当初、社内の誰からも歓迎されない空気を感じました。
1937年の創業以来、トヨタは長らく豊田家出身のトップが続いておりましたが、7代目となる豊田達郎(在任期間:1992~95)を最後に、奥田碩(95~99)、張富士夫(99~05)、渡辺捷昭(05~09)と、豊田家以外のトップが続いていた。いわば“民営化”のイメージが固まりつつあるなか、創業ファミリーの人間が突如、舞い戻ったことになります。しかも当時、私は52歳でした。私以前の社長は4代つづけて62歳前後で就任しており、なんとなくトヨタ社長の適齢期というイメージもついていた。私より10歳上です。そういうこともあって「大政奉還」「名ばかり社長」などと、批判を受けたことは必然だったように思えます。
それに加えて、前年のリーマン・ショックで日本の自動車業界は多大な悪影響を受けていた。トヨタの2009年3月期決算は、4610億円の営業赤字を記録しました。創業以来、最悪の数字です。未曽有の危機の真っ只中における御曹司の社長就任ですから、社内にお祝いムードはもちろんなかった。私の方では「お手並み拝見」という冷ややかな視線ばかり感じてしまいました。
今だから正直に申し上げると、当時の会社は、このまま私に赤字の責任をとらせて社長を辞めさせればいいと考えていたのかもしれません。
――言葉は悪いですが、“捨て駒”と見られていた?
豊田 そう、まさに捨て駒だったと思います。会社から協力的な姿勢を全く感じられませんでしたから。
就任直後、まずは黒字化を目指すため、収益構造の改革に取り組みました。2009年11月の段階で、会社側から提示された収益見通しは赤字でした。決算まで4カ月の時間が残されており、まだまだ手立てはあると感じていました。ところが、会社側から提示された委員会立ち上げの時期は翌年4月です。「今期は赤字にして、その責任を章男にとらせて辞めさせよう」との魂胆が見え見えでしたね。そこでみんなでなんとか2010年3月期決算で2期ぶりとなる黒字転換を達成します。ひとまず乗り切った。ほっと一息つけると思ったら、追い打ちをかけるようにやってきたのがリコール問題でした。
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