日本のインクルーシブ教育はどこへ向かおうとしているのか――。文科省が昨年4月27日に出した通知「特別支援学級及び通級による指導の適切な運用について」によって、小中学校の特別支援教育の現場が揺れている。通知で「特別支援学級に在籍している児童生徒については、原則として週の授業時数の半分以上を目安として特別支援学級において児童生徒の一人一人の障害の状態や特性及び心身の発達の段階等に応じた授業を行う」と明記されたことにより、特別支援学級に在籍できなくなったり、通常の学級で過ごす時間が減ってしまったりする子どもが出てきている。同9月に出された国連の障害者権利委員会による勧告でもこの通知は問題視され、撤回が求められたが、永岡桂子文科相は「(通知は)むしろ、インクルーシブを推進するものだ」として撤回に応じず、文科省は同11月に通知の趣旨を解説するQ&Aを作成した。今、学校現場で何が起きているのか。
岐路に立つ「原学級保障」
この通知によって大きく動揺しているのが、大阪府などの自治体を中心に根付いている「原学級保障」の実践をしている公立小中学校だ。「原学級保障」とは、学校によって多少の違いはあるものの、障害のある子どもができるだけ多くの時間を通常の学級で過ごすことで、障害の有無などにかかわらず、さまざまな違いのある子どもが同じ教室で共に学び、インクルーシブな場をつくることを目指す取り組みだ。同和教育の実践をベースに発展したこの「原学級保障」が今、通知によって岐路に立たされている。
「障害は一人一人の子どもによって違うのに、通知は必要な支援なしに通常学級で過ごす子どもを増やすか、重度の障害があるなどでより支援を必要とする子が他の子と一緒に過ごす時間に制限を課すように大号令をかけている。逆に重度の障害がある子はずっと特別支援学級で過ごすことになるかもしれない。通知に基づく厳格な運用を教育委員会や学校が行ってしまうと、今のインクルーシブな学びやその先の人生の方向性を失ってしまう子どもが相当出てくることになる」
そう訴えるのは、「わくわく育ちあいの会」代表の佐々木サミュエルズ純子さんだ。ダウン症などがある息子のジェイミーさんは現在、大阪市内の市立中学校で特別支援学級に籍を置きながらも、日中の多くの時間を通常の学級で過ごしている。これはジェイミーさんが小学生の頃からずっと変わらない日常だ。同級生もその保護者も、ジェイミーさんが教室にいることが最初から当たり前という感覚で、教師もジェイミーさんの成長を温かく見守る雰囲気があるという。
「1年間の子どもの育ちは大きいし、1学期と2学期で教室の居心地が変わることもある。そういう波がある中で柔軟に運用できるようにしないといけないのでは」と、通知に基づいて府内の一部市町村で特別支援教育の方針を転換する動きに、佐々木さんは疑問を投げ掛ける。
大阪府内でも、通知に対して保護者を中心に大きな反発が起きたのが枚方市だ。枚方市は府内の他の市町村に先駆けて、22年5月の段階で、通知に基づき23年度から新たな特別支援教育の施策を決定。しかし、この方針が知らされると保護者や市民から「障害のある子どもを分離することにつながり、差別ではないか」といった抗議の声が上がり、実際に障害のある子どもを市立小中学校に通わせている保護者が大阪弁護士会に人権救済を申し立てる事態にまで発展した。
人権救済を申し立てた保護者の一人である山根沙弥佳さんは「枚方市で生まれ育った私にとって、障害のある子が一緒に学ぶのは普通の光景だった。いろいろな保護者から他の自治体の話を聞いて、それがいかに恵まれていたことかを知った。海外ではインクルーシブ教育がもっと進んでいる国もあるのに、日本国内でちょっと進んでいる大阪の取り組みをなぜつぶそうとするのか」と憤る。
枚方市ではこの間、複数回にわたって保護者説明会を開いたが、22年11月に「次年度からの急な『学びの場』の変更を求めることとなり、また、本来は一人一人の状況に合わせた指導を充実させることについてご説明すべきところを『支援学級での授業時間数を週の半分以上とする』など、時間数ありきの説明となったことから、保護者の皆さまに多大なご不安を生じさせ、疑問を招くこととなりました。改めて、深くおわび申し上げます」と謝罪し、23年度から全ての児童生徒が一斉に学びの場の見直しを行うとした方針を撤回することになった。
それでもまだ、山根さんら保護者の不安や懸念は払しょくされたとは言えず、溝は深いままだ。
教員からも影響を懸念する声
特別支援教育を担当している教員からも、さまざまな声が上がっている。
ある大阪府内の公立小学校で特別支援学級を担当する教員は「通知の『週に半分以上』という目安の根拠が分からない。例えば1、2年生で国語と算数だけ特別支援学級で学んでいるような子は、それだけで半分を超えるが、3年生以上になると社会などの他教科も特別支援学級で学ぶようにしないと、目安を超えることができないかもしれない。特別支援学級で学ぶ時間が増えると、1日の時間割の中で、特別支援学級を担当する教員が通常の学級に入ることも難しくなる」と話す。
特別支援教育へのニーズが高まる一方、教室不足が全国的に深刻な課題となっている。教室をパーテーションで2つに分けただけで、隣の授業の声が聞こえてくることも珍しくない。この教員は「大声を出してしまう子もいる中で、これまでは特別支援学級で学ぶ時間が少なかったからそこまで気にしなかったが、集中できなくなる子も出てくるのではないか」と懸念。「自閉傾向のある子どもの中には、普段は通常の学級で過ごしているが、パニックになると特別支援学級で少しクールダウンするといったこともある。今回の通知はそういう子が切られてしまいかねない」と、特別支援教育の柔軟性が失われてしまうことに危機感を募らせる。
別の大阪府内の公立小学校の教員は通知について「本来は特別支援学級でなくても、通級やその他の支援で通常の学級で過ごせる子どもがいると感じていたので、最初に通知を読んだときは、確かにそうだなとも思った。しかし、大阪の取り組みが問題になるとは思いもよらなかった」と戸惑う。
どういうことか。この教員は「夏休み前に新しい体制についての話があり、来年度に特別支援学級から通常の学級に移る子どももかなりいる。これまでのように特別支援の教員や支援員がフォローに入れない状態で、通常の学級で授業を受けることになる」と懸念。「大阪の自治体は保護者の要望を重視して、できるだけ通常の学級で過ごしながら特別支援教育の支援が入るというやり方を実現してきた。その文化が通知によって変わってしまう」と、これまで培ってきた教育文化の変質を危惧する。
教育新聞が22年11月14~21日に行った「Edubate」の読者投票でも、国連の障害者権利委員会の勧告を踏まえて通知を撤回すべきか尋ねたところ、「思う」は55.7%と、「思わない」や「どちらともいえない」を上回った(=グラフ)。
寄せられたコメントでも「支援学級での教育は素晴らしい。でも、長期的な視点で考えると、通常級での時間をもっと増やした方がいい」「障害があってもなくても同じ場で安心して学び、社会で共に生きていく力を育てる教育を考えていくことが大切では」「国の言い分や方針は理解しますが、少しだけ教育現場や主役であるべき子どもたちの姿や痛みを感じてほしいと思います。同時に親御さんたちの叫びや苦悩も…」「交流級で過ごす時間が長い子は普通級に在籍するとの考え方、困りごとを抱えた子の存在を無視することにはなりませんか?」などがみられた。
「原学級保障」の実践に詳しい原田琢也金城学院大学教授は「『原学級保障』の取り組みは障害のある子どもが通常の学級で共に学ぶことを原則としているが、文科省の考え方は分けることが基本になっている。本来であれば、個々の子どもの多様な学びやニーズに応じて合理的配慮をしつつも、共に学ぶことを追求するのがインクルーシブ教育だ。子どものニーズに合わせた教育は必要だが、そればかりになってしまうと障害のある子とそうでない子が分断されてしまう」と強調。
「『原学級保障』にも課題が全くないわけではない。しかし、だからといって今回の通知で急に来年度から変更するというのは拙速で、子どもたちや保護者への配慮がなさ過ぎる。むしろ、日本がインクルーシブ教育に本気で取り組むつもりがあるのなら、『原学級保障』の実践で培われた成果から学び、より良い制度設計に生かすべきだ。それをつぶそうとする動きはおかしい」と批判する。
学びの保障が問われている
通知で特別支援学級に在籍する児童生徒の交流・共同学習の時数の目安を週の半分以上としている根拠について、文科省は通知のQ&Aで▽学級とは、継続的に組織される児童生徒の単位集団であり、特別支援学級は、障害のある児童生徒が、年間を通じてその学級において活動することを前提として編制され、障害に応じた指導が行われるものであること▽交流および共同学習は、障害のある児童生徒の交流先の学級での活動を特別支援学級担任がサポートするなど、適切な指導体制を整えられる範囲内で実施される必要があること――を総合的に勘案したと説明している。
全国特別支援学級・通級指導教室設置学校長協会会長の喜多好一東京都江東区立豊洲北小学校校長は、通知について「通知では特別支援学級の多い10都道府県・政令市を抽出した実態調査結果も合わせて紹介されているが、それを見る限り、特別支援学級の子が通常の学級で過ごしている状況はかなり地域差があり、驚いた」と話す。その上で、「大阪のような『原学級保障』に近い取り組みをしている学校は他の地域にもいくつかあり、そうした学校は通知へのハレーションが大きいと思う。これまで通常の学級で多くの時間を過ごしている子どもたちに、半分という目安を当てはめれば、通常の学級で過ごす時間は減ってしまう。その部分の学習保障をどうしていくか。これまで交流で培ってきた人間関係も含めて、学びの場の見直しをしていく必要がある。保護者とは合意形成をしていき、新たに入ってくる子は丁寧な手続きが求められる」と指摘する。
また、学校の特別支援教育の在り方を考える際のポイントとして、喜多校長は学習指導要領などで定められている、障害のある子とそうでない子との「交流および共同学習」の重要性を挙げる。
喜多校長は「特別支援学級の子どもたちには個別の指導計画を作成するが、そこには自立活動を含め、教科、生活面でその子の実態を踏まえた短期的・長期的な目標が書かれることになる。その中には豊かな人間性・社会性を育むための目標もある。例えば、特別支援学級の授業内容では物足りないが、当該学年では難しいというときに下の学年の授業に入るといったことや、教科の全部の授業ではなく、この単元については問題ないから行かせようというようなこと、この子は自閉的傾向が強くてなかなか相手の気持ちが分からないけれど、遊びの時間ならば先生が一緒についていれば大丈夫だろうということなどを、個別の指導計画に落とし込んでいくのが『交流および共同学習』の本来の姿だ」と解説。
その上で「『交流および共同学習』とひとくくりにされることが多いが、それぞれ狙いは違う。例えば、朝の会や帰りの会、給食、休み時間、掃除の時間などで日常的に触れ合っていくのは大事なので、それを交流として実施していくのはいいことだと思うが、授業の中で共同学習として通常の学級に入るのであれば、お互いに授業の狙いに対してWin-Winになれるものでなければいけないはずだ」と話し、個別の指導計画に沿って交流や共同学習を考えていく必要があると強調する。
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